miinneariのブログ

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雑談:SNSと露出狂

一般的にSNSは「対人交流」として使っている人が多い。本来のSNSという名前、仕様を考えると一般的な使い方だと思う。

逆に(この仕様を考えると)特殊な運用として「意見表明」の手段としてSNSを使っているひともいる。これは交流という相互なものではなく一方通行なものである。

一般に意見表明としてSNSを使っている人間は、端的な文章を使い、太字やカラー、画像を付け加えて意見を分かりやすくし視認性の面で優れていることが多い。加えて一方通行であるが完全に交流としての文脈を捨て去っているわけではない。

一方、自分の基本的なSNSの運用は「意見表明はするがそれに対する反応は期待していないし、反応に返答する気もない」というのがスタンスであり、どちらかというと「意見表明」に近い。しかし、意見表明が一方通行なのに対して、このスタンスはそもそも交通がない、伝達のベクトルがないに等しい。こういう運用をしている人は少ないが一応同類の人間も観測している。

このブログも見やすいようにする努力というのをあまり行っておらず、孤立した状態ではある。単に私の作文能力不足である部分も大きい。が、その心がけもせず意見表明するのは本来のSNS(やブログ)の文脈を考えると変な話だ。

 

「「意見表明」する以上わかりやすくする努力は必須である。」「本来交流すべき場所で意見表明を行いそれを伝える努力をしないのは行動の意図が読めない」と感じる人もおそらく多くいるのではないかと思う。

ただ、この一見不可解な行動、自分の中では妥当な行動だと思っている。

 

この「交流の場で自分の意見をしゃべって伝える努力を行わない」ひいてはSNSを使う心理というのは概ね露出狂の心理で説明できるのではないかと考えている。

露出狂に詳しいわけではないのだが、「思いっきり他人に見せに行くタイプ」と「ただ公共の場で露出して楽しむタイプ」がいる。

前者は他者の反応が目的としており、「対人交流」「意見表明」するタイプがあてはまる。

そして、後者は要するにみられているかもしれないというシチュエーションを大事としてるタイプである。

見せに行くのではないので反応が重要ではなく「場」が重要なのである。もっというと公共の場で「自分が」露出しているというのが重要であり、根本的に「自分が露出している」という部分にフォーカスがある。

要するに前者が他人の反応を見て楽しむのに対して、後者は自分が行っている行為そのものを楽しんでいる。何かの偶然で他人に反応されるかもしれないが、エスカレートしない限り他人に見つからなくても後者の露出狂は満足し続ける。もちろんある程度グラデーションのある話ではあるのだが、後者の露出狂の極致が「説明する気のない意見表明」である。

 

誰かが見ているかもしれないところで「(説明する気のない)意見表明」している自分に満足しているのである。それは根本的に誰かがみる必要はなく、分かってもらう必要もない。

 

 

というのを大体1時間で書いた。わかりやすくする気はないとは書いたが、「できるできない」と「やるやらない」は大きく違うので一応見やすく書きたいなとは考えている。

誰にも分らない意見を表明する行為が深夜の公共の場で露出する行為に近いというのは何となく思っていて個人的にはしっくり来ているのだが、あえて文章にすると説明が難しい。

書いてて思ったが、「ただ公共の場で裸になっていたのがだんだん刺激を求めて他人の反応を求めに行く」というのは割とありそう。その流れを「意見表明」の文脈に当てはめると「最初は意見を書くだけだったけど反応が欲しくて直接誰かのコメント欄とかにコメントしに行く」となるが、これもありそう。

うまく交流できていればいいけれども「交流」と「説明する気のない意見表明」は大きく違い、よく見る見当違いのコメントをしている人はそういう流れで生まれているのかもしれない。